起立性調節障害の記憶

  • 2022年6月29日
  • 経験
  • view
  • 0件

私は中学・高校の6年間、1つの病気に悩まされてきた。

その病気は起立性調節障害である。

ここではその経験についてまとめていく。

 

起立性調節障害を簡潔にまとめると、

低血圧なために朝起きるとき、体全体に血液が十分に行き渡らず貧血状態になる病気である。

結果として、貧血・頭痛・立ちくらみなどの症状を引き起こす。

 

医学的知見というより経験的見方であるから詳細については他の医学サイトで確認してほしい。

ただ主な症状は低血圧+低血圧に付随した症状であった。

私の場合、頭痛・立ちくらみが猛威を振るった。

 

ここからは経験について書いていく。

 

中学1年生

症状が始まってきたのは、中学1年生の夏休みくらいからだろう。

暑い日、頭痛がひどくて起きれなかった時があった。

元々偏頭痛持ちであったからその影響かな、なんて考えていた。

ただやたら頭痛が朝起きるときに頻発することから、何かの病気である可能性を若干疑っていた程度だ。

家にあるカロナールを飲んで治めていたくらいだった。

中学1年生の時はこんなもんで、特に学生生活に支障はなかった。

 

中学2年生

起立性調節障害が実生活に大きく影響を及ぼすようになってきた。

夏休みの時だけに抑えられていた影響が6月や9月にまで広がってきた。

幸い、夏休みと重なる期間が長いだけに出席日数はノープロブレム。

ただ夏場の暑い期間、部活には参加できていなかった。

夏休み明けに参加した部活は正直居心地が悪かった。

症状である頭痛も徐々に大きくなってきており、午前中で終わっていた頭痛も昼まで影響を与え始めた。

 

中学2年生の夏頃に起立性調節障害であると診断結果を受けた。

病気の名前がわかっただけで別に安心感はなかった。

ただ死ぬほどの重い病気でなかったことを知れて安堵したくらいか。

いつ治るか分からず、大人になっても続いている方はいる。

この記述をどこかのWebサイトで見つけた時、恐怖が残ったが。

 

中学3年生

中学3年生になるとさらに病状は重くなり始め、3時間目の授業(10:45スタート)からの参加が増え始めた。

冬であっても頭痛や立ちくらみが起こり始めてきた。

部活ももちろん行っていない。

幸運にも小学生の時に受験し公立の中高一貫校に通っていたおかげで、高校受験はなかった。

だから内申点を気にすることなく授業を休んで安静することができた。

ただ普段の生活でもハッとした拍子に頭痛や立ちくらみが起きることが度々あり、常に実力を出しきれない消化不良を感じていた。

書いていることが厨二病であるが、これはホントだ。

実際記事の下部でも書くが、高3の頃の体力測定の結果が消化不良であったことを物語っていた。

 

クラスのみんなもこの事情を知っていたために、休みや遅刻が多いことに疑問を持つものは少なく普通に過ごせていた。

ただ体調の調う日が少ないために、友達と遊んだ記憶は1年で片手か両手で数えられるほどあるかないか。

学校・勉強・趣味の3つで生活がフル回転していた。

 

高校1年生

夏も冬も関係なく影響が出始めた。

言わばオールウェイズ頭痛である。

行動制限が掛かるほどの痛みは昼頃には消えるが、その後も頭がぼんやりし続けるような痛みが続く。

今思うと高校生の頃、よくあんなにも勉強できた。

痛みに耐えながらもよく勉強が続いた。

高校1年生の時に1つ決意したことがある。

それは高校生活では体の調子が不十分で楽しむことができない。だから体が良くなり満足に体の動かせるだろう大学生活を楽しもう。そのためにも辛くても勉強には集中する。

ということだ。

決意というより高校生活を満足に楽しめていない現状への諦めだろう。

未来への賭けともいうのか。

 

高校生の時は一貫して、何よりも自分の身体に翻弄され続けた。

頭痛がし、ひどい時には動悸が激しくなり座り込んだり、倒れたり。

この状態で友達と遊ぶ、彼女を作る、部活に打ち込むなんて二の次であった。

どこで寝転がっても大丈夫な家に早く帰りたい。

薬もあって安心感のある家に帰りたい。

そんな気持ちが先行していた。

 

ただ私は友達がいなかったわけではない。

大学生になってからも付き合いの続いている友達もいるし、女子の中にも仲の良い子はいた。

実際私が病気であることに気づいていない子もいたくらいだ。

授業にサボり癖があるくらいに見えていただろう。

だから並の高校生と同じ生活を送れた可能性もゼロではない。

しかし自分の心はそこまで強くなかった。

いつまで続くか分からない頭痛にいつも不安だった。

不安でたまらなく、精神的に安定しているとは言えなかった。

だから高校生活を諦め、大学生活に賭けることにした。

今思えば、未来に不安を持つ人間がする賭けではないように感じるが。

 

高校2年生

起立性調節障害が1番ひどくなった時期だ。

通っていた高校が単位制であったため、何科目かで単位を落としかけた。

先生の協力もあって、単位を落とすことなく卒業できたのは幸いだった。

ただ本当に通うのがやばくなった時、先生から高卒検定を受けることを勧められた。

高卒検定を持っていれば、大学受験できるようになるからと。

結果的に受けてちゃんと高卒検定の資格をとった。

この資格を持ったことで、最悪学校を辞めても先に進んでいけることが見えた。

このこともあって、少し気が楽になった。

 

ただ依然として頭痛・立ちくらみのひどさは健在だった。

 

高校3年生

この頃から少しずつ良くなってきた。

というか受験への不安が起立性調節障害の苦しみを上回ったのかもしれない。

頭痛があっても、耐えながら勉強していた。

それほど受験勉強に追い込まれていた。

正直残っている記憶もほぼ受験のための勉強しか残っていない。

 

よくなってきたと思えた出来事の1つに体力テストがあった。

体力テストを受けたら、50m走が1秒縮む、ハンドボール投げが10m伸びるなど結果が驚異的に進化していた。

前年の結果と比べると別人が叩き出したかのようだ。

他にも学校に朝から行ける日が増えたことや頭も身体も軽くなったことがある。

高校生活を勝手にハンデマッチしていたように感じた。

起立性調節障害がなければ、もっと楽しい中学・高校時代になったのではと思い恨めしく感じた。

 

その後の大学受験だが、全て落ちた。

A判定を出したところも落ちたため、すごい理不尽さを感じた。

辛いことがあったから別のことでは救われる。

そんなことはなく、それはそれ、これはこれ、ということを学んだ。

因果関係のない2つは結べないものだ。

 

その後

全落ちした後、浪人してまた受験。

 

浪人期間が始まった時、起立性調節障害はすでに治っていた。

頭痛や立ちくらみがなくなっていたのだ。

受験の極度の緊張がいい効果をもたらしたかもしれない。

とりあえず治ったのは確かである。

 

第1志望には落ちたが、早稲田に合格し今に至る。

起立性調節障害はすでに治っているとも言える状態であるから、特に書くことはない。

書くなら浪人生体験記の形で別の記事でまとめる。

起立性調節障害を経験して

この経験は私からさまざまなモノを奪い、そして与えてくれた。

 

奪われたモノとして1番大きかったのは、

中学生・高校生としての時間

である。

 

その時の時間はその時にしか訪れない。

そして過ぎたものは戻ってこない。

いくらお金を出したところで、買えるのは自分の未来の時間だ。

今の時間はどんどん過ぎ去っていく。

 

大学生になって、みんなの中高時代の話を聞くととても羨ましい気持ちになる。

その度にやりきれない気持ちを感じるしかない。

全ては過ぎってしまったからこそ身に染みる。

過去はどうしようもできないからだ。

 

ただその代わりに手に入れたものが

時間を大切にする姿勢

である。

今の時間は今しかない。

このことを6年間使ってきっちり教え込まれた。

 

言葉では理解しやすいことだろう。

過去の時間は取り戻せない、変えられない。

しかし現実の行動を考えると、あまり理解できているとは言い難い。

 

起立性調節障害で感受性豊かな6年間を失ってしまった。

その代わり、今後人生100年に通じる時間の使い方を学んだ。

こんなところだろうか。

 

起立性調節障害に苦しむ人はたくさんいるだろう。

そして人それぞれ症状も異なれば、使える時間も違う。

できること、考えていることも違うだろう。

 

ただそれでも卑屈にならず、時間をどう生かすかを考え続けてほしい。

今の症状が治ったとき、これまで制限されていた時間・体力が全て解放される。

これまで頭や身体で抱えていたハンデが全て解放される。

 

そうなったとき、新しい人生が始まったと感じるくらい同じものも輝いて見える。

何しても楽しく感じる。

 

無理してでも努力しろ、そして耐えろ

とか言うつもりはない。

起立性調節障害に根性論は論外だ。

 

ただ治った先の世界を考えると、

何をすべきか

自然と思いつくのではないだろうか。